upsetters architects 20th Anniversary !!!

upsetters architects
20th Anniversary !!!
2004 – 2024 …

大学院に在学中の2004年のちょうどこの時期、僕たちは活動を始めた。ちょうど10月の東京は、今も昔もデザイン関連のイベントが重なるタイミングで、その小さなイベントの企画〜会場構成、という本当にささやかな機会に、今の屋号”upsetters”とクレジットしてから気がつけば20年が経ったことになる。(法人化は翌2005年)

今でこそ、大学を卒業してすぐに起業するというスタイルも珍しくはなくなってきたが、その頃は一般的ではなかった(はず)。そこから20年、社内のプロジェクト番号は300を超えている。振り返ると、世界7カ国にわたって、本当に多くのプロジェクト、出会いに恵まれ、何より立ち上げ時のパートナーもそのまま、奇跡的にここまできた。

“(前略) —— 慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(以下 SFC)で建築を学び、建築家として20年、業界的にはアトリエと呼ばれる組織を率いてきた。まだまだ道半ばではあるものの、卒業後そのまま誰にも師弟せず独立したという意味では、業界的にはそうした働き方の第一世代であり、ちょうど古い時代と新しい時代を行ったり来たりしている世代とも言える。”

これは、建築家 槇文彦の諸相を様々な立場や世代のメンバーがテキストで探る企画「Booklet 31 槇文彦の諸相──建築と人をつなぐ (慶応義塾大学アート・センター)」に、寄稿したテキストの引用。この企画、槇さんが亡くなられる前の企画ということで、直接ご本人にテキストを届ける機会ということで、悩みに悩んだ結果、中途半端に槇さんのことはかけない、という結論になり「新建築2017.10月号 建築論壇 変貌する建築家の生態 / 槇文彦」への自分なりの応答として、自分のこと、そして今考えていることを書いたテキストの冒頭からの引用である。

そして、こう続けた、
“(中略) —— どういうわけか、気がつけば建築家として生きることとなった。人生とは本当に不思議だと思う。幼少期に野球に出会い、六大学野球に憧れ、慶應義塾を目指すことになった。同時にその先のSFCの大学院において、デザインと社会性の接点とも言える建築を学ぶことに希望を持った。幸運にも思い描いたその道を歩むこととなり、そこで多くの刺激や出会いに恵まれ、こうして建築家となったわけだが、そこでの初期衝動、建築家の社会性に真っ直ぐ向かいたいという思いが時代性も相待って、今のスタイルとなった。”

タイトルは、「変貌する建築家として、その先のよろこびを求めて」とした。


“建築”とは何か、考えることに興味がある。
建築家ができることは何か、考え続けている。

20周年に際してイベントやろうかなとか、いろいろ考えたけど、この一年は、改めて自分自身と対話し、深める時間をできる限り取り、自主的なアウトプットに繋げる一年にしたいと思うようになった。20年前のミラノサローネで感じた違和感とそこから距離を取るべき、という直感は今も変わらない。残念ながら、世界では戦争が続き、ますます社会のシステムが混迷を極めているが、今の時代を生きる自分たちは、次の世代に少しでも良い社会をつなぐ責任とチャンスがある。そして、その先に、本当の新しいデザインと、楽しくて豊かな生活があると信じて。

ということで、しばらく会えてない皆さんとも、初めましての方とも、これを機会にぜひ、この先の20年に向けての話ができればと思ってます。何卒、引き続き、よろしくお願いします!
多くの縁に導かれながら、今年64回目のフライトの飛行機にて、2024年10月、20年目のスタートとして。